2007年01月28日

ホームホワイトニングが導入された頃

ブライトスマイルに代表されるホームホワイトニングは、
それはそれで存在価値があったわけですが、
2002年ごろ、ホームホワイトニングが日本で認可されます。

ホワイトニングに興味を持っている歯科医師たちは、
認可以前から並行輸入でホワイトニング治療を細々と行っていたわけですが、
厚生省で認可されるということはこうも違うのかという感じでした。

まず、売り方として、ブライトスマイルと違い、
日本の歯科商社とタッグを組み、大々的にプロモーション活動をしました。
大々的に売り込みを行い、一般の歯医者さんでもホワイトニングという、
治療の幅を広げることに寄与していきました。

そうして、一定の評価を得ることとなり、
私としては効能よりプロモーションなんだな、と感じました。

効能よりプロモーションと思ったのは、
日本で認可される商品は認可に時間がかかるためか、
同一メーカーでありながら、アメリカで売られている商材に比べて、
日本で認可されて売られた商材は2世代ぐらい古かったことです。

口の悪い先生たちはアメリカの在庫処理と言ってましたかね。

その現状は今も変わらず、日本で認可されているホワイトニング材は、
アメリカ的には若干、世代が違うものであります。

患者様に最高の治療を、ということを理念におく、
西船橋駅前歯科では、並行輸入でアメリカと同様のホワイトニング材を、
ホワイトニング診療として提供しています。

一口にホワイトニング材といっても、
成分、濃度、使い方、注意事項など全く違います。

日本で売られている薬剤も使い方によっては十分、歯が白くなると思いますが、
興味があればお問い合わせください。

明日以降も、まだまだホワイトニングの話が続きそうですかね。
こんな思い出話もほんの5年ほど前のことですけどね。



posted by 西船橋駅前歯科 at 23:09| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歯のホワイトニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月27日

1日で歯が白くなるようになった日

ホワイトニングと院長の関わりの続きです。

ホワイトニング先進国、アメリカから、一回でホワイトニングを行う、
パワーホワイトニングの概念が日本に上陸したのは、
2001,2年頃だったでしょうか、
ブライトスマイルというホワイトニングが最初だったと思います。

当時、ブライトスマイルは、アメリカ国内で、センターを各地につくり、
内装、対応など、同一イメージに仕上げ、ブランドイメージを大切にしていました。
日本でもそうしたコンセプトで、進出をしてきたはずです。

ブランドイメージを大事にする戦略から、
導入を許された医院は限られていて、価格も同一価格を強いられました。

私が勤務していた医院でも日本で10数台です、という時期に導入され、
ブライトスマイルのブランドイメージを前面に出してホワイトニングを行っていきました。

このこと自体は貴重な経験で、選ばれた歯科医院だけのセミナーに出席したり、
ホワイトニングの最先端の話を聞いたことは、
どこの歯科医院でもホワイトニングを行う今となっても貴重な財産となっています。

後に同一価格、ブランドイメージ戦略は夢物語と終わります。
ブライトスマイル社のコンセプトはいかにも外資の論理という感じでしたが、
(化粧品のセフォラの失敗に通ずるものがありそう)
おそらくこの失敗が、逆にアメリカのメーカーにとって、
今の日本でのホワイトニング戦略の成功(?)につながっているとも思います。

つまり、外資特有のブランドイメージを売り、
ブランドイメージのために、全てを仕切るという考え方がブライトスマイルで、
現在のアメリカメーカーは、細かいことは現場であるユーザーの歯科医院個々に任せ、
結果として商品が売れればよいということに徹している感じがするのです。

とくに日本の歯科業界では、医薬品の流通における卸の力が大きいので、
これを無視して独自のやり方で売り込む方がいいのか、
卸業者の力を借りて流通に乗せる方がいいのかは、
マーケティング的に一考の余地があるのだと思います。

少なくとも日本において、歯科医院(歯科医師)は独立した事業であることが多く、
外資特有のイメージを重視し、イメージを統一(押し売り)する戦略は難しかったのではないでしょうか。

ただ、ブライトスマイルという商品自体は画期的で優れたものであったと思いますし、
商品のコンセプトは今のホワイトニングのコンセプトと、
何ら変わるものではないことは間違いありません。

売り方やプロモーションが悪かったのだと思います。

なんか、ホワイトニング治療そのものとはかけ離れた感じになってしまってすいません。
昔話に熱くなるのは年をとってきた証拠でしょうか。

時がたち、我が医院も残念ながらブライトスマイルからの撤退を余儀なくされるわけですが、
この頃から、ホームホワイトニングの概念が導入されてきます。

長くなったので、続きは明日へ。



posted by 西船橋駅前歯科 at 22:04| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歯のホワイトニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月26日

まずはホワイトニングとの出会いから

設備の話の流れを中断して、
しばらくはホワイトニングの治療の話をします。

院長の私とホワイトニングの縁は意外と古くて、
学生時代にさかのぼります。

当時、日本ではホワイトニングは厚生省の認可を受けていない時代でありました。
ほんの12,3年前の話なんですけどね。

当時、仲の良かった大学の保存科の先生に誘われて、
日本で初めて作られるホワイトニングの薬の治験をしたいと言われて、
歯も白くなるし、ラッキーとか思って治験に参加したのが、
歯のホワイトニングとのお付き合いの始まりです。

大学の実験のようなホワイトニングですので、
今では考えられないような、重装備をさせられて、
(専門家的に言うと一歯一歯にラバーダムをかけられる)
ホワイトニングをしました。

当時の感想としては、歯が白くなって喜んだ気はしませんでしたね。
学生ながら、この薬で効果あるのかなと感じました。

後に、治験のデータを見て、こんなに白くなってないよと、
友人と苦笑いしたような気がします。

とにかく今どきほどの効果のない薬剤でしたが、
その後、1998年(たしか)に当時の厚生省の認可を受け、
センセーショナルな商品デビューを果たしました。
歯科医になっていた私も臨床の場で、またこの薬剤にめぐり合い、
自分が治験者になった薬が登場してなんかうれしかった記憶があります。

当然、患者様にすすめてホワイトニングも行っていたわけですが、
案の定、患者様の満足は最高のものとは言えませんでした。
患者様の納得を得るために回数をかけることも多く、
それでも満足は得られず、
患者様、術者両者が辟易する場面もありました。

当時は薬剤の効果も過大評価されていましたし、
術者にとっても正直、未知の世界でありました。

いまでは、ホワイトニング治療の常識になっていることも、
まだまだ誤解があったり、理解不足があった気もします。

例えば、当時はホワイトニングに一生の効果を期待する患者様も多くいらっしゃいましたが、
最近は情報が入手しやすくなっている時代背景からか、
まず、そういった期待感を持つ患者様はいないということも、
時代の違いの一端ではないかと思います。

で、白くならなければ、白くしようと探求するのが、私たちの思いです。
国内のホワイトング材でで唯一日本で認可されているのがその商品しかなかったわけですから、
次に求めるものは海外のものしかありません。

とくにホワイトニングに関してはアメリカが先進国ですので、
ホワイトニングのトップリーダー達の紹介により、
アメリカから並行輸入という概念を形にしていきました。

なんとなくアメリカ産はいいよね〜という、
希少価値的な満足感は満たされた気はします。

ところが、今でもそうですが、ホワイトニングの世界のスピードは速く、
ついていってもついていってもどんどん先を行かれてしまいます。

そうこうしているうちに一回で歯を白くしようという考え方の
ホワイトニングマシーンが、日本に紹介されます。

私が勤務していた医院でも導入を決めました。

その後の話はこれまた色々と広がるわけですが、
長くなってきましたので続きは明日で、よろしくお願いします。











posted by 西船橋駅前歯科 at 22:38| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歯のホワイトニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。